精神医学の大家が語る逆説的真理

土居健郎先生、河合隼雄先生、中井久夫先生、神田橋條治先生――。
精神科医であれば、この4名の名前を知らなければ「モグリ」と言われても仕方がないほど、精神医学の世界で非常に著名な先生方です。
私たち後進の医師にとって、書籍や講演を通じて多大な影響を与えてくださった存在です。
ちなみに、私はこの中のお一人から、症例検討会で直接ご指導を受けたことがあります。臨床に関わる者として、まさに光栄の極みでした。
その名医たちが、共通して口にしている格言があります。それが、次の言葉です。
「治療者が治そうと思えば思うほど、患者さんは治らない」
おそらく初めて聞くと、「それは一体どういうこと?」と思われるかもしれません。
私自身、研修医のころには強い違和感を覚えました。
「医者が患者を治さないで、何のためにいるのか」と。
けれども、それから30年が経ち、今ようやく――ほんの1ミリだけですが――この言葉の意味が分かってきた気がします。
精神科の診療は、登山にたとえられることがあります。
目指すのは「病気の克服」という山の頂。
患者さんと医師が、そこを目指して一緒に登っていくイメージです。
ただし、医師の役割はあくまで「道案内人」。
患者さんの荷物を代わりに持つことも、患者さんを置いて一人で山頂に立つことも、意味を成しません。
それどころか、そうした行為は治療の本質から逸れてしまいます。
本来、患者さんには自ら回復する力があります。
ただ、その力を病気や環境が覆い隠しているだけなのです。
精神科医の役割は、その本来の力を引き出すためのサポートに過ぎません。
私自身、まだまだこの偉大な先人たちの背中すら見えないところにいます。
それでも、精神医学という険しい道を、少しずつでも進んでいきたいと思っています。
参考文献
精神科治療学 第40巻5号